ふと、そういえば今年は「ライトノベル進化論」を見てないなと気付いたので、梅田望夫の「ウェブ時代をゆく」を読みすぎた俺が現在のライトノベル事情について語ってみる。
1.プラットフォームとしてのライトノベル
近年、ライトノベルのコミック化、アニメ化が相次いでいる。
ごく最近のアニメ作品だけでも「ご愁傷さま二ノ宮くん」、「ストレイト・ジャケット」、「レンタルマギカ」、「バッカーノ!」、「ムシウタ」。「灼眼のシャナ」と「ゼロの使い魔」、「撲殺天使ドクロちゃん」にいたっては第ニ期シリーズの放送である。
コミック化については、富士見系の「ドラゴンエイジ」、角川系の「ビーズエース」などに続き、ライトノベルのコミック化のためだけに「コミックアライブ」、「ノベルジャパン(現在は「キャラの!」に改名)」といった漫画雑誌そのものを創刊させるほどであり、「とある魔術の禁書目録」にいたっては、「電撃大王」と「ガンガン」の二誌にわたる連載開始である。
2008年にも、「狼と香辛料」、「我が家のお稲荷様。」、「狂乱家族日記」、「リリアとトレイズ」、「紅」、「乃木坂春香の秘密」、「かのこん」、「図書館戦争」、「シゴフミ」、「まじしゃんず・あかでみい」といった人気タイトルのアニメ化が目白押しである。
ライトノベルのメディアミックスは、コミック化、アニメ化だけではない。一部の劇場ではあるが「空の境界」、「学校の階段」は映画化したし、「しにがみのバラッド。」、「半分の月がのぼる空」は実写ドラマ化して地上波で放送された。
アニメと平行して放送されているwebドラマも各々好調だ。
さらに「灼眼のシャナ」と「ゼロの使い魔」はすでにゲーム化しているし、「涼宮ハルヒ」にいたってはPSP版、PS2版の二本がまもなく発売され、wii版は現在開発中。
その他、フィギュアや副読本、雑多な関連グッズを含めれば、ライトノベルを原作とする製品の総数は膨大な数に上る。
以上のように、現在、ライトノベルは単なる小説という枠を越えて、アキバ産業の重要なコンテンツ・リソースとなっている。
本来、ライトノベルはそうしたメディアへの変換がしやすいものであったし、消費者であるオタクたちが読者層として重なっていて、スムーズに受け入れられたことも大きい。
もはやライトノベルとメディアミックスの関係は切っても切り離せないものとなっており、各レーベルはメディアミックスをも考慮にいれての作品作りを展開せねばならなくなった。
これは文庫本の形態で完結してしまっていた、1990時代には、まったく存在しなかったミームである。
したがって、ライトノベル2.0におけるライトノベルの価値とは、様々なメディアミックスに対応できる拡張性にある。
といっても過言ではない。
2.ブロゴスフィアの利用
レーベル競争が激化してゆく中で、ライトノベルレーベルの代表格である電撃文庫、角川スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫のいわゆる御三家と呼ばれるレーベルは、常に読者のニーズに的確に応えることで売り上げを伸ばしてきた。
しかし、日々、めまぐるしく変化していく読者の嗜好を、迅速かつ正確に捉えていくことは非常に困難である。
レーベルが作品の評価を知るには、読者アンケートの葉書か書店での売り上げ実績から読み取るしか方法がない。
それに面倒な読者アンケートの質問に答えて送ってくるような読者は、大抵作者のコアなファンであって、肯定的な内容に偏りがちだし、書店の売り上げというものは、最低でも1〜3ヶ月は計測しなければデータとして当てにはならない。
そこでレーベルやライトノベル作家たちが、最近になって目をつけているのが、世のアマチュア書評家たちが自らのブログ上に掲載している書評である。
書き手は未熟ながらも、その特筆すべきはレスポンスの速さであり、新刊の発売日即日に、すでに読了して書評を掲載しているようなライトノベルサイトはいくつも存在する。
さらにサイトの中では好評と悪評が入り混じり、忌憚無い公平な評価を下し、お互いにライトノベルの状況について盛んな情報交換やブレインストーミングを行っている。
ライトノベルサイトを定期的にチェックするだけで、このような有益な情報をリアルタイム、かつ無料で取得できる。出版社側にとっては有難い状況になってきているのである。
だが、これら書評の評価に果たして信憑性はあるのか。
それについては、ライトノベルサイトの持つ潜在能力を表すいくつかの例がある。
富士見ファンタジア文庫で「鋼殻のレギオス」というシリーズがベストセラーとなって富士見書房のHPでフェアを行っている。
だが、ネット上のライトノベルサイトの管理人たちの間では、1巻の出版から、すでにこのタイトルは富士見ファンタジア文庫を代表するタイトルになるという確信を誰もが抱いていた。
わずか2年目の新人にもかかわらずアニメ化するほどの人気を博してしまった電撃文庫の「狼と香辛料」についても、デビュー時、同期でそれよりも格上の電撃大賞を受賞したはずの「お留守バンシー」などまったく歯牙にもかけない大絶賛の声がライトノベルサイト界隈に満ちていた。
同じく、ファミ通文庫の「”文学少女”シリーズ」についても、その評価は当初から高かった。
「2chライトノベル板大賞」で、しばしばライトノベルサイトの管理人たちによる陰謀説が囁かれることがあるが、誤解を恐れずに言えば、管理人たちは結託している。
しかし、それはどこかの大手サイトの扇動によって下っ端サイトたちが蠢いているような秘密結社的なものではなくて、どこかのあるサイトが歩きだすと、他のサイトもつられて一斉に同じ方向へ歩き出すという、いわばペンギンの習性に近い。
別に特定のボスに従っているわけでもないのに、である。
だが、管理人たちに協調性があるのかと訊かれれば、実態はそろって独善的で偏屈な人間ばかりとしか言い様がない。
同じ作品を読んでもその評価はバラバラであったりする。
纏ろうとしても絶対に纏らない、まったく不毛な集団である。
ネット書評家たちの好みは、一般市場からズレているとはよく言われるが、逆に月に20冊以上もの本を読んでいるコアな読者であるネット書評家たちにウケないものが、果たして一般人にウケるのだろうか。
ここで、ベストセラーを作り出しているのは、出版社ではなく、読者であるという認識をいま一度思い出してもらいたい。
読者が本当に耳を傾けているのは、一部の大賞選考委員の評ではなく、同じ読者の無数の声なのである。
それを体現しているのが、「2chライトノベル板大賞」、「ライトノベルサイト杯」、「このライトノベルがすごい!」である。
現実として各レーベルの新人賞でデビューを果しても、これらのランキングで上位にランクインしなければ、新人作家が生き残っていくのは難しい。
これら読者参加型のイベントの結果が、しばらくの後、一般市場の売り上げに顕在化してゆくのである。
ここで取り違えないで欲しいのは、ネット書評家たちが持つ市場への影響力は、皆無、または限りなく小さいということだ。
ネット書評家たちはフリッカーであって、トリガーではない。
しかし、ライトノベルサイト界隈でヒットしたタイトルは、確かに半年〜1年後に一般市場でヒットしているのである。
読者に評価されることで、読者を広げていくバリューチェーンこそが、レーベルにとって理想である。
ライトノベル2.0時代では、読者によるネットワーク効果が市場優位を獲得する鍵となるだろう。