僕の妹は漢字が読める (HJ文庫) かじいたかし 皆村春樹 ホビージャパン 2011-06-30 by G-Tools |
『きらりん!おぱんちゅおそらいろ』それは日本文学を代表する作家オオダイラ・ガイの最新作だ。彼の小説に感動した高校生イモセ・ギンは、クロハ、ミルというふたりの可愛い妹に助けられオオダイラのもとを訪れる。しかし、そこでギンや妹たちは謎の現象に巻き込まれてしまい――。
高度に発達した萌えは変態と区別がつかない
パンチラと妹萌えが正統派文学となった未来から平成の時代にタイムスリップした兄妹の異色サブカルチャーコメディ。
とりあえず、斬新であることは認める。ただ斬新すぎて誰もついてこれないし、ついて行きたくねぇ!
無意味なパンチラと妹萌え、そして漢字が不要となってひらがなとカタカナだけの文体が正統派文学となった未来と平成の時代とのかけ離れた常識のギャップがシュールで苦笑しきりでした。
未来の世界がディストピアとしか思えない。ただし二次元美少女総理は認める。only in japan!
世界観とストーリーの不条理っぷりはツッコんだら負けな気がする。未来人が皆
だが、さすがにオオダイラ文体は読んでて頭が痛い。簡素すぎる文体は、あれはあれで想像の翼が広がるが、もし時代を経てライトノベルが進化した結果がコレかと思うと絶望したくなる。
時代によって主流や常識は変わるものだけれども、進化というか、退化しているようにしか思えない。
そんな未来の典型的な文学少年であり暴走しがちなギンと、未来人としては珍しく一般的な感性を持っていてストッパー役のクロハの兄妹のやり取りが可笑しくて、ラノベと純文学への皮肉に溢れていた。
ギンの文学に対する拘りやKYなキャラはイライラするところはあるけれども、極端な萌えが正統派として肯定されている未来で育ったのなら、それが普通だと思い込んでてもしょうがないのかな。嫌だけど。
作中では『ラノベと純文学に本質的な違いはない』としているけれども。ラノベと純文学はやっぱ違うんじゃないか。文章に哲学や芸術を追い求めるのが純文学で、面白さを追求するのがラノベ。
そもそもお互いの目指しているものが違うんじゃないですかと私なんかは思うのだけれど。
最後は一巻でまとめようと思えばうまくまとめられたのに中途半端なエンディングでちょっと冗長。
ときに、発売前の試し読み段階の時点ですでに物議をかもしていたこの作品ですが、地雷は地雷だが、作者も編集もあえて地雷とわかっていて出版に踏み切ったところが凄い。
一般のラノベ読みにはあんまりオススメしないけれど、普段からラノベをラブコメや厨ニ病しかない小説だと偏見を持っているような権威主義者の方には是非読んで憤死していただきたい所存。
どっちがいいとかではなく、何を一番大事としているかで明確な違いがあるわけで
一般小説とラノベだったら近いかもしれませんが
斬新である、という一点に於いて他の如何なるラノベの追随をも許さない作品ですので、これは1巻で綺麗に締めて、次はまた予想もしないぶっ飛んだ設定の作品を1,2巻で書いて……というスタイルで業界に刺激を与え続けて欲しい作者さんの気がしたり
こんな設定を次々と思いついて、毎回書き上げられるのかどうかは謎ですが
漫画家の先生に対して「絵画を描けるほど絵が上手くないから漫画書いてるんだろ」というようなもの。
一般文芸を書く能力とライトノベルを書く能力はまったく違います。
一般文芸で人気の作家がラノベを書いても面白く無いだろうし、ラノベ作家が一般文芸で書いてもその多くは評価はされないでしょうね。
こういう一発ネタで読者の興味と耳目を集める作品はよい刺激にはなるのですが、やはりシリーズとして続けるとなると不安ですね。
どんなタイプの作品も常に新しい要素を出し続けないと、読者に飽きられてしまうから、次にどうなるかに注目です。
そこが汲み取れるかどうかは人それぞれでしょうが。
じゃなかったら純文学は自己完結でいいのか、という話になってしまう。
恐らく作者さんが提起したのはそこの筈です。
読み手が居るから書き手が居るのは間違い無い訳ですし。
手法と目的の部分は違うかも知れませんが、もっと根源的な部分でとてもいい事を言っていると思いますね。
読後腑に落ちた、というかそうなんだよね、と、とても納得した気分にさせられた作品でした。
では、失礼します。
純文学の本質というのは自己の表現じゃないですかね。
一方、ライトノベルはエンターテイメントで商品です。
純文学とライトノベルは制作段階からして違います。
ライトノベルはプロットの段階で市場のニーズに合うように編集と作家が会議して内容が決まります。
純文学は作家がこれと思った題材をとことん極めます。作品作りに置いてとくに市場の流行りがどうとかは気にしませんよ。
昔の文豪と呼ばれる人々は、自分の作品が売れるか売れないかは二の次三の次だったんじゃないでしょうか。
純文学はいまでこそ賛美されてますが、いかな名作といえども発表当時の評判は「売れない」の一言でした。
読み手が居るから書き手が居る、それは現代のライトノベルの考えじゃないでしょうか。
読み手のことを考えて書いていた文豪なんて聞いた事無いので・・・・・・。
とまあ、いろいろと考えさせられる本ですよね。